共感と個性と同調。
LGBTQや働きかた改革、デジタルノマド、人生に対する考え方や仕事の仕方、世の中はいろいろなことが自由になってきました。一人一台スマートフォンを待ち、変化していく時代の中でSNSがなくてはならないものとなりました。そしてソーシャルネットワークを通し、誰かに認められたことが一つの個性として認識されているなと最近感じます。
もちろんそれは悪いことではないし、顔の知らない誰かからイイねをもらうことがステータスになったことで安心感や自己肯定感を得られるのは良いと思います。
人は誰かに共感してもらうと安心する生き物ですし、世の中の人はそうした人が多いのではなのではないでしょうか。
誰だってそう。ただ、それが過剰にいきすぎてしまうと、圧力となって自分にのしかかってくる。
アンチコメントやエゴサーチなどが最たる例です。それに翻弄され時間を費やす人もいると思います。
ネットが5Gになることを間近に控え、これからも自分を表現するツールがたくさん出てくることでしょう。その中で求められていくのはSNSでのイイねやハートマークです。
ボタン一つで簡単に同意ができてしまう世の中になり、10年前までは「ならえ右」を大切にしていたことが緩やかに変化していきました。
長々と偉そうに講釈をたれていますが、僕自身もその恩恵を受けています。
現にこの記事を読んでいるあなたがいるからこそ、ブログを続けられています。
大切な時間を割いて頂きありがとうございます。
さて、今の社会は個性を持って生きることを大切にということを説いているにもかかわらず、世の中の人はいいねの数やリツイートをもらうことに執心しています。
これって、どうなのでしょうか。
それを仕事として、あるいは自己発信のツールとして「分別」のある使い方をすれば良いと思います。
個性を説きながらも他者の同意で自己肯定感を得られるのは切っても切り離せない現実があります。なぜならそれを良しと教えてきた教育が根本にあるから。同調することが大切にされてきた過去があるからです。
授業ひとつとっても、ネットは怖いですよ、書き込みをしちゃダメですよ、と教えられることがあると思います。
ではなく、逆に悪いことを書き込んでみましょう、するとどうなりますか?といった投げかけをしてみるのはどうでしょうか。
本人たちが行動と結果を予測し、考えるきっかけが掴めるのではないでしょうか。
自ら考えて、行動をしようとすること、これこそが個性だと僕は考えます。
少し自分について考えていたのですが、自分らしく生きるっていうのは意外にもちょっとした工夫で思った様に変えていくことが出来ると思いました。
一言で言えば「自分を認めてあげる」ことこそがこの本質なのだと思います。
誰かの人生を羨ましがったり蔑んだり…誰かの意見に人生の舵取りを任せ切ってしまっていることはありませんか。
自分ではない顔の知らない誰かの同意よりも、生まれてから今まで片時も離れることがなかった自分こそ、最高のフォロワーだと思います。
どうか、1番の理解者が自分自身だということを忘れずに、たくさん褒めて、大丈夫だよと自分を認めてあげれる人が1人でも多く増えればなと思います。
服から生まれ出てきた姪っ子。
モスラの誕生。
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