IslandLife 〜沖縄の離島生活記〜

都会の飲食店で2年半勤務した後、南の島に移住して2年目突入。日々のことを綴ります。

深く息を吸って、もぐる。

海に潜るのではなくて、自分の思考と向き合うことがこの島では多い。

夜1人で家にいる時や外を1人で散歩する時にいつも何かを考えている。

明日のことだったり今日のことや1ヶ月先のこと、その日の夕飯だったり寝る前にやることなど取り留めもないことがシャボン玉の様に頭の中に浮かんでは消えていくのを繰り返している。

元々、考えることは嫌いではなかったから、ぼんやり思いを巡らす中で、一歩引いてみて客観的に見たら今の自分の心持ちはどうなんだろう、仕事へ思いを込めてちゃんと仕事をしているのか、最近、嬉しかったことなどを考えている。


また、ぼんやりしている時もあれば、タイトルのように水の中に潜って自分自身と深く向き合うこともある。


いつも自分や周りについて考えてるとブログに書いているけれど、本当に多いのだ。


離島の夏は暑くて、外に出ると溶けてしまいそうになる。せめて内地のようにコンビニやサーティーワンみたいなアイス屋さんが島にあったのならば僕は迷いなく、出資をするだろう。

でも、不自由な暮らしこそ、愛おしくもある。だからこそ、ものについて考えれるし、合理的ではなく、非生産的な方を選んでしまう。


外を歩くことを切り取っただけでも、そう感じるのならばこれこそが生きている証なのだと自分に言い聞かせて港に向かう道を溶けそうになりながら歩いていく。

 

ある朝、お隣の素敵なおじさまに釣りに連れてっていってもらい、美味しい魚をたくさん釣ってきた。


その中でも一番大きな魚であるアカジンミーバイ(スジアラ)を島の長老のおじいとおばぁにプレゼントした。

滅多に釣れない魚だけに釣れた時はとても緊張した。


それと同時におじいとおばぁの喜ぶ顔を思い浮かべるとそんな緊張なんて吹き飛んで早く渡したい気持ちでいっぱいになった。

 

深い理由なんてない。

ただ、おじいとおばあの喜ぶ顔が見たかった。


島に住む人の買い物は1日がかりで石垣へ行かなければならず、気軽な気持ちで行けないし、新鮮で美味しい魚を届けたいのと純粋におじいやおばあの喜ぶ顔が見たかっただけだった。


小さい頃から分け合うことの大切さをお父さんから教えてもらった。

美味しそうな唐揚げでも、なかなか食べれないカステラでもお父さんは自分の分を全て僕たち兄妹にくれた。あの時はいつもよりも多く食べれることが嬉しくて『ありがとう!』と伝えた後すぐに食べていた。

小さい頃からの思い出が生きていて、その教えを自分の中で大切にしている。

 

閑話休題、魚を食べたいかどうかというのをいつも聞かれるけれど、どちらかというと釣る方が好きなのだ。

クレーンゲームで例えるなら景品は欲しくないけど取ることが好き。


なんとなく、小さな幸せだったり、人との距離が近い分、相手のことを思ったり、前から話しているように自分について考えたりすることが多い。


答えが出るわけではないけれど、自分自身と丁寧に向き合い、考えることが好きになっている自分に気がついた。


10年前は考えるよりも行動を起こすことばかりを考えていた。


あの時は経験や行動こそが全てであり、まずやる、やってみることを大切にしていた。

今でもその気持ちは前に書いたようにやってみなきゃわからない!の精神でいる。

ただ、その合間に果たしてどうだったのかと結果や過程を見なおすことが多い。


思いを巡らすと、とりとめのないことが川の流れのように出てくる。

海の底を目指すように深く潜って息苦しくなったら、水面へ出て息を大きく吸って、また潜れば良いじゃないか。


自分のペースでゆっくり行こう。

そんな思考をめぐらしながら、今日も自分に正直に生きる。

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この日は早起きは三文の徳どころではなく、1両の徳だった。釣った魚は子どもたちに煮付けにして食べてもらったり、刺身にしたり…おじいとおばあにプレゼントした。


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